日本の砂金採りを取り巻く状況を考える
かつて稀代の冒険家マルコ・ポーロは、『東方見聞録』において日本を「黄金の国ジパング」として世界に紹介しました。
本サイトでは日本の多くの河川で砂金が採れることから、日本が今でも名実ともに黄金の国であることをご紹介していますが、現在の日本をそのように認識することはあまり一般的ではありません。
今回は、このような日本の砂金採りの状況についてアメリカ合衆国におけるゴールドラッシュとの違いをふまえながら考えていくことにしましょう。
カリフォルニアにおける「ゴールドラッシュ」
まず、日本の砂金採りについて考える前に、その比較としてアメリカ合衆国における砂金採りの事情について取り上げます。
みなさんも「ゴールドラッシュ」という言葉を一度は耳にしたことがあると思います。
これは19世紀にアメリカ合衆国のカリフォルニア州で金鉱が見つかったことを発端として、その金を採掘しようと非常に多くの人びとが世界中から殺到した社会現象をあらわしています。
当時、金鉱が発見されたカリフォルニア州には一攫千金を夢見て30万人もの人びとが集まったといわれており、もともと数百人規模の開拓村だったカリフォルニアにこのゴールドラッシュによって人びとが集まるようになると、そこにはさまざまな産業が成立するようになっていきます。
金を採掘する人に対してスコップやツルハシ、バケツなどの砂金採りのための道具を販売することにはじまり、採掘された金を交換取引するための取引所や道路、教会、学校などの社会的インフラも整備され、このゴールドラッシュを契機としてカリフォルニア州のいたるところで大小さまざまな街が形成されていきました。
ゴールドラッシュで人が集まり街や産業が発展していった
このゴールドラッシュは20世紀に入ると下火になっていきますが、実際に金の採掘によって莫大な資産を築き上げることができた人はほんの一握りだったといわれています。
しかし、このゴールドラッシュがアメリカ社会に与えた影響は非常に大きなものがあり、事実、日本とは違って現在のアメリカ合衆国では砂金を採ることを事業にしたり、それに準じる形で一般の人びとが砂金採りを趣味として楽しんだりする文化が定着しています。
たとえば、私自身が使っている「パンニング皿」や「スルースボックス」といった砂金採り専用の道具はアメリカ製ですが、これはかつてゴールドラッシュという社会的な現象が発生し、砂金採りが産業として広がっていく中でさまざまな道具が開発されて発達してきたことのあらわれだといえるでしょう。
日本における砂金採り事情
次に、日本における砂金採りの文化と歴史について考えていきます。
アメリカ合衆国におけるゴールドラッシュと規模こそ違うものの、日本でもゴールドラッシュとよばれる現象はいくつか発生しており、有名なものとしては明治期の北海道に砂金を求めて人びとが集まったことが挙げられます。
ただし、日本では古来から川で砂金が採れるという事実は知られていたものの、その情報や砂金の採り方についてはごく一部の人によって秘匿・独占されるという形が続いてきました。
たとえば、今でこそ私たちはパンニング皿というものを使って砂金採りをしますが、日本においてもそれと似たような「揺り板」(ゆりいた)や「揺り盆」(ゆりぼん)といった砂金採りをするための道具が存在しています。
この揺り板は、木でできた長方形のお盆のようなもので、砂金採りを専門とする職人が手作業で作る砂金採り専用の道具のひとつです。
日本ではこの揺り板を使って砂金採りを行うのですが、その使い方についてもかなりの熟練を要するもので、砂金採りはまさに職人技としてごく限られた人びとの間でのみその技術とともに引き継がれてきたという歴史があるのです。
実際の揺り板とその動かし方については、以下の動画で紹介をされていますので、そちらをご参照ください。
ゆり板の使い方
(画像をクリックで動画を再生)
さて、日本の歴史の中で砂金採りが秘匿されてきた理由としてはいくつかの要因があると考えられます。
まず、これは金だけの話ではないのですが、重鉱物の発掘とその鋳造技術はそのまま刀剣などの軍事的な技術や貨幣の流通などにつながっていくため、日本の為政者がその採り方などについて人びとにオープンにしなかったことが挙げられます。
実際、日本の歴史の中で重鉱物の開発の歴史をひもといていくと、金・銀・銅・鉄などの重鉱物の鉱脈の場所を探り当て、その鉱山の開発を生業とする「丹生一族」といわれる人びとの存在も指摘できます。
また、もっとも大きな要因としては、やはり砂金そのものが貨幣的価値をもっていることから、たとえ砂金の出る場所や採掘の事実があったとしてもそれを周囲に安易に知らせることをよしとしなかったということでしょう。
以上のように、日本では砂金採りに関する知識や技術は広く一般の人びとが知り得るような形ではなく、ごく少数の職人集団の中だけで共有されて受け継がれてきたという文化が成立したと考えられます。
ただ、このような職人技を持っている人びとは今では少なくなっており、そこで培われた専門技術や砂金が採れる場所などの情報についても次第に失われつつあります。
現代の私たちが「黄金の国ジパング」というフレーズを耳にしてもその実感がまったく沸かないのは、そのような砂金を採ることに関するさまざまな情報が秘匿されてきたという歴史的な背景に加え、それを伝承する職人が少なくなってきたという事情を象徴しているともいえるのです。
砂金採りの実状を探ることの意義
私が砂金採集をはじめてから15年以上経ちますが、日本における砂金採りの方法や砂金のスポットに関する情報を集めていく中で、その周辺に住んでいる人から「自分のおじいさんの時代には近所の川で砂金採りをしていたようだ」といった話を聞くことがいくつかありました。
しかし、日本では砂金採りの道具が自作であることに加えてそれを職人技で砂金を採っていたため、時が流れてその人がいなくなってしまうと、砂金を採っていた場所やその方法などに関する砂金採りの事実そのものが失われてしまうことにつながっていきます。
逆に、アメリカ合衆国では現在でも砂金を採ることがひとつの社会的な産業やビジネスとして成立した背景があることから、現在もその技術や情報が広く一般に共有されている文化が続いています。
私個人としては、単に砂金を採れるかどうかを問題にするのではなく、そのことを通じてそれが歴史や伝統・文化、社会というものとどのようにつながっているのかを振り返ることも今を生きる私たちのひとつの役割ではないかと考えています。