「丹波竜」(兵庫県丹波市)の発掘現場を探訪する
地球の歴史において「中生代」(今から約6500万年~2億5100万年前)は爬虫類が活躍した地質時代であり、その中で私たちがよく耳にする生物といえばやはり「恐竜」になるでしょう。
その恐竜は気象変動や植物の死滅等の影響から中生代末期までにはすべて絶滅したと考えられており、その時代の様子については恐竜やアンモナイトをはじめとする生物・植物等の化石から考察するほかない状況といえます。
中生代に生きていた恐竜の化石を発掘するためには、当然、その地質時代に該当する地層を検証する必要があり、アメリカ、カナダ、アルゼンチン、中国、モンゴル、イギリス等の諸外国ではこれまでに数多くの化石が発掘されています。
一方、日本においても中生代の地層が広く存在していることからそこに恐竜の化石が眠っている可能性が挙げられます。
しかし、日本列島はその全体にわたって森林が生い茂っていることから地層の露出が少ないことに加え、地上の生物化石よりも海洋生物の化石の方が産出しやすい等の環境的要因があり、結果、恐竜の化石が発掘されることは非常に珍しい出来事として捉えられています。
そのような背景事情の中、兵庫県丹波市では2006年にとあるきっかけから恐竜の化石が発見されることとなり、現在においてもその発掘作業と研究が進められています。
今回は、兵庫県丹波市における恐竜の化石についてご紹介することとしましょう。
「丹波竜」発見のきっかけ
兵庫県丹波市における恐竜の化石は以下の場所で発見されました。
兵庫県丹波市周辺にはもともと「篠山層群」(ささやまそうぐん)という白亜紀前期(約1億4,000万年前~1億2,000万年前)の地層が広がっており、これまで地質の専門家の間ではその地層の中に恐竜の化石が含まれる可能性が指摘されてきました。
しかし、一口に「地層を発掘する」といっても「どの場所をどこまで掘り返す必要があるのか」という発掘の見込みがなければ地層を掘り返す作業そのものが徒労に終わることになりかねません。
そのような中、2006年8月、かねてから地質学に造詣の深かった足立洌(あだち きよし)さんとその友人である村上茂(むらかみ しげる)さんの2名が上記の篠山川の河川敷を訪れた際に地層から後に恐竜の骨と判明する灰色の突起物を発見しました。
「丹波竜」の発掘現場(現在の様子)
おふたりはその突起物の一部を地層から発掘した後、兵庫県三田市にある「兵庫県立人と自然の博物館」に持ち込んで鑑定を依頼したところ、これまでにも発見されていない恐竜の化石であることが判明しました。
それ以降、2007年から第6次調査までにわたって地層の発掘が実施されることになり、発見された新種の恐竜については「丹波竜」という愛称が定められました。
また、発掘調査を進める中で丹波竜以外の新種の恐竜の化石が複数発見されることになり、丹波竜については2014年に「タンバティタニス・アミキティアエ」という正式な学名が与えられました。
丹波竜の発見当時の様子とその経緯については、こちらの「丹波竜.com」のページをご参照ください。
なお、現在のところ発掘現場における作業は一時終了し、今では以下の「丹波竜発見地展望広場」として観光スポットの一部となっています。
丹波竜発見地展望広場
また、丹波竜発見をきっかけとして発掘現場の近傍には「丹波竜の里公園」も整備され、丹波竜の実物大復元モニュメントも設置されています。
「丹波竜の里公園」と丹波竜の実物大再現モニュメント
再現された丹波竜の大きさは約13mとされていますが、実際に復元モニュメントのかたわらに立ってみれば恐竜の威容とその迫力を感じさせられるとともに、このような大型の生物がかつての地球上を闊歩していたという事実にも驚かされるばかりです。
「丹波竜」の発掘現場
今回、当研究所が発掘現場を訪問した際に案内スタッフの方からのご厚意があり、特別に現場内への立ち入りと写真撮影の許可が得られました。
発掘現場の近景
2007年に恐竜の化石が発見されたとのメディア報道が大々的に行われた後、発掘現場では化石を含む泥岩層が広範囲にわたって掘削されて「兵庫県立人と自然の博物館」に持ち込まれました。
私自身も見学のために第5次調査まで発掘現場に臨場した経験がありますが、現在では上記の写真のように現場保存のために地層全体がコンクリートで覆われ、その表面には恐竜の姿をかたどったペイントが施されています。
なお、丹波竜の第一発見者である足立さんと村上さんは以下の場所で恐竜の骨が地層から外部に飛び出している状況を見つけたと伝えられています。
丹波竜の骨の発見箇所
また、発掘現場ではその周辺の地層についても継続的に調査が進められ、「ヒメウーリ・ サス・ムラカミイ」という学名が定められた世界最小の恐竜卵の化石も発見されました。
恐竜卵の発見現場跡
その他、発見現場周辺を探索すると以下のような当時の生物の巣穴やその周辺を動いていた痕跡を示す「生痕化石」も観察することができました。
発掘現場近傍の「生痕化石」
恐竜化石の発見の意義
新種の恐竜の化石が丹波市で発見されたというニュースは2007年の年明けすぐに伝えられましたが、私自身も兵庫県に住む人間として身近な場所でそのような世界的な発見がもたらされたことについて非常に驚いたことをよく覚えています。
日本において恐竜の化石が発見されたという事実は社会的にも非常に重要な出来事であり、それ以降、発掘現場周辺は恐竜をきっかけとして「丹波竜化石工房ちーたんの館」という自然史博物館が設立されました。
また、丹波市と隣接の丹波篠山市にかけて地域全体が「丹波地域恐竜化石フィールドミュージアム」という一大体験スポットとして整備され、化石発掘体験やイベント等を通じて誰でも簡単に恐竜と過去の歴史に触れられるようになり現在に至っています。
一方、地学的な観点としてはそれまで白亜紀前期とされていた篠山層群の地質時代が恐竜化石の発見からその範囲がほぼ特定されるとともに、その事実から日本全国においてすでに存在していた中生代の地層が再検証されることとなり、そこから恐竜の化石が新たに発見されるきっかけにもつながっていきました。
その意味で、ひとつの恐竜の化石の発見という出来事が地学全体に与えた影響は非常に大きなものだったと捉えることができるでしょう。