「玄武洞」で地学の歴史に触れる
地学を勉強していると、「玄武岩」(げんぶがん)という岩石は火成岩とマグマの項目においては必ず取り上げられるものとなっています。
この玄武岩という名前は兵庫県にある「玄武洞」(げんぶどう)が元になっています。
今回は、地学の歴史においても重要な役割を果たしている玄武洞をご紹介していくことにしましょう。
玄武岩と玄武洞(兵庫県豊岡市赤石)
まず、玄武岩の外見的な特徴としては、こちらの玄武岩のページで取り上げているように五角形のような形をしています。
玄武岩
玄武岩ではこの五角形以外にも六角形から八角形などの形になることもあるのですが、玄武岩質マグマが冷却されるときに収縮して「節理」という割れ目が生じることによって形のはっきりとした岩石になることが知られています。
この玄武岩という名前は、明治時代にその玄武洞の名称にちなんで名付けられたものとなります。
玄武洞はもともと玄武岩を石材として利用するために採掘を行っていた坑道であり、その跡地となっている場所となります。
玄武洞
先にも触れたように、この玄武洞の玄武洞の玄武岩はマグマが冷却された際に節理(柱状節理と板状節理)が生じることで切り出して用いやすい形状になっていました。
玄武洞における玄武岩
そのため、豊岡市周辺では古くからこの玄武岩を漬物石や河川の護岸工事を行うための石材として広く利用されてきたわけです。
なお、玄武洞ではその名前に関連づけて、それ以外の玄武岩の坑道を「青龍洞」「朱雀洞」「白虎洞」の名称がつけられています。
玄武岩の地学的意義
玄武洞における玄武岩の地学的な意義としては、地球磁場が反転していたことの物証であることが挙げられます。
これは地球磁場の研究をしていた地球物理学者の松山基範(まつやまもとのり)先生が1929年にこの玄武洞の玄武岩を調べた際に、それが形成された時代には地球の磁場が反転していたという事実を発見しました。
現在の地球の地磁気は北極がN極で南極がS極となっていますが、この玄武岩が形成された160万年前にはそれが反対だったというわけです。
これは地球磁場の反転説として世界ではじめて提唱したものとなりますが、当時の学会ではほとんど無視されていました。
その後、地球磁気学の発展にともない、地球の磁場が反転していたという事実が正しかったことが認められ、その功績をたたえて249~72万年前の地球における逆磁極期を「松山逆磁極期」として名づけられるようになったのです。
この地球磁気の逆転現象を手がかりとして、地球の地質年代のより正確な特定が可能になったという意味で玄武洞は非常に重要な役割を果たしたといえるでしょう。
玄武洞の紹介とその地学的な意義については以下の動画で解説をしていますので、ご覧ください。
「玄武洞」の地学的意義
(画像をクリックで動画を再生)
以上のように、玄武洞は玄武岩の名称の由来となっただけではなく、地学の歴史において日本人の功績につながるきっかけとなった場所だといえます。
玄武洞ミュージアムの開設
私が40年以上前にこの場所を訪れた際には採石場跡としての玄武洞しかなかったのですが、その後、その正面には玄武洞資料館が開設されました。
さらにこの資料館は2019年3月以降に「玄武洞ミュージアム」としてリニューアルオープンし、山陰地方の観光地の一環としての整備が進められています。
玄武洞ミュージアム
なお、玄武洞ミュージアムについては、こちらの玄武洞ミュージアムのホームページをご覧ください。
地学の歴史だけでなく世界に誇るこの玄武洞に、みなさんもぜひとも一度は足を運んでみてください。