岡山県高梁市成羽周辺の地質ポイントをめぐる

岡山県高梁市成羽(なりわ)地区には、日本の地学にとって重要な地質ポイントがいくつか存在しています。

今回は、私が大学時代から何度も通い、実際に化石の採集を行ってきたそれらの地質ポイントを紹介していきましょう。

岡山県高梁市成羽町

岡山県高梁市成羽町で有名な化石といえば、「モノチス」という二枚貝の化石になります。

こちらの「モノチス(岡山県 成羽枝産)」のページでも紹介しているように、中生代トリアス紀(三畳紀)の示準化石のひとつとしてよく知られています。

モノチス(岡山県 成羽枝産)
二枚貝エントモノチス・オコチカ

このモノチスが成羽地域周辺において産出されるということは、かつてこの地域一帯が海の中だったことを示しています。

以下に示した「森神社」の北側にある山林にはそのモノチスが数多く含まれており、それらが容易に採集できるポイントになります。





岡山県高梁市成羽町の化石採集ポイント

私の学生時代にはここに何度も訪れていくつもモノチスを採集していたところです。

もし、ここに訪れて化石採集を行いたい場合は、周囲の民家の方の許可を得るようにしてください。

また、成羽地区ではモノチス以外にも「成羽の植物化石」が有名であり、それらは「高梁市成羽美術館」において展示されています。



高梁市成羽美術館

「高梁市成羽美術館」についてはこちらの「高梁市成羽美術館」のページをご覧ください。

以上のように、成羽地区では私の紹介した化石の採集ポイントに加え、高梁市成羽美術館において成羽周辺で産出されるさまざまな化石を見ることができます。

高梁市成羽美術館については以下の動画で解説をしていますので、あわせて参照してください。


「高梁市成羽美術館」の特徴
(画像をクリックで動画を再生)

大賀の押被(おしかぶせ)/大賀デッケン

成羽町を訪れたのであれば、ぜひともそこから南西にある「大賀の押被(おしかぶせ)」も見て頂きたい地質ポイントとなります。

大賀の押被は「大賀デッケン」とも呼ばれており、日本の地学の歴史を語る上では外せない場所となります。



大賀の押被(大賀デッケン)の外観

一見したところ、大賀の押被は上記に示したような普通の河川と道路にしか見えず、その付近にある立看板の説明書きを見たとしても何がポイントなのかがよく分からないものと思われます。

大賀の押被では中生代トリアス紀の地層の上に、古生代の石灰岩がかぶさっているところにその特徴があります。

通常、地層というものは、古い年代の地層が下にあり、その上に新しいものが積み重なっていくものです。

しかし、大賀の押被ではそれが反転しており、その理由として横からの地層の圧力によって地層が褶曲し、それが横倒しになって「衝上断層」(しょうじょうだんそう)が形成された後に侵食を受けて現在の形になったとの仮説が打ち立てられました。

この大賀の押被は地質学者の小澤儀明先生が衝上断層を初めて学会に報告した場所として有名になったという経緯があります。

上の写真で示すと、道路の左側にある河川の部分が中生代トリアス紀の地層であり、道路の右側に古生代の石灰岩が観察されます。



(上段)中生代トリアス紀の地層/(下段)古生代の石灰岩の地層

ただ、現在のところ、その仮説が正しいかどうかは疑問が残るところとされており、それよりも「プレートテクトニクス理論」で考えた方が自然ではないかとの見方も出てきています。

プレートテクトニクス理論にしたがえば、かつてこの地域が海底にあった時に、その海溝の部分に向かって南方からのプレートの動きによって海山が上下反転した状態で落ち込み、それがそのまま畳み込まれて時代とともに上昇し、現在の山地が形成された後に侵食を受けて大賀の押被ができたと考える方が筋の通った説明になるというわけです。

当時、この大賀の押被が報告された時代にはプレートテクトニクス理論すら存在していませんでした。

しかし、その時代的背景の中において、当時の地質学者が地層とその構造の成因を明らかにしようと奮闘した歴史がここに刻み込まれているといえるでしょう。

化石の採集ポイントをめぐる

化石の採集ポイントといえば険しい山の中や普通の人がなかなか行くことができないような場所にあることが一般的です。

高梁市成羽地区はかなりの山の中にありますが、距離はあるものの高梁川に沿って北上する山間の道はほとんど平坦でアクセスしやすい場所にあるといえます。

その近隣には「高梁市成羽美術館」も開設されており、この地域の歴史を知るにはうってつけの場所といえるでしょう。

また、地学を専攻する人間にとって「プレートテクトニクス理論」は今や常識となっていますが、「大賀の押被」では目の前に広がる現実を説明しうる仮説を打ち立てようとした当時の地質学者らの苦難の歴史を垣間見ることができるでしょう。

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